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教員コラム

2022.12.06 - コミュニケーション学科  日本三大中華街の一つである神戸南京町について

コロナの影響で2022年度も引き続き中華街を対象としプロジェクト科目(コミュニケーション・プロジェクト8)を実施しました。今回は横浜中華街に加えて神戸南京町の形成と現状についても理解することを目的とし、6月中旬実地調査を行いました。参加した学生の感想の一部を紹介します。「中華街を中心に中国古来の歴史や建造物、食事などに触れ中国文化を学べたと思いました。実際に横浜中華街、神戸南京町に行きそれぞれの違いや共通点、中国ならではの特徴などさまざまな発見をすることができました。」「中華街といえば横浜で、勝手に横浜中華街しかないと思い込んでいたので、プロジェクト科目を通じて神戸と長崎にもあることを知った。また、今まで中華街に行くとなったらほぼ食の楽しみしか目的にしていなかった。しかし建物の作りや伝統的な行事、四方を囲む牌楼など日本にいながらまるで中国にいるかのような文化がそこには存在していることを学んだ。そして同時に、日本にこのような中国文化が華僑をはじめとする人々のお陰で有することから日本と中国の関係の深さを身に染みて感じることができた。」

 

【南京町の形成】1868年(明治元年)に神戸が開港し、10余りの中国人(当時清国人と呼ばれていた)が貿易目的で長崎から神戸に移住してきました。日本と当時の清国の間は条約を締結していなかったため、清国人が外国人居留地に住むことができず、その隣の元町の南に集中して住居を構えました。明治10年頃、この町のいくつかの狭い路地に雑貨商、豚肉商、飲食店、漢方薬店など様々な店舗が軒を並べ、このほか塗装職、洋服職、船員など雑業の職人達が雑居して、中国人の町のようになりました。その頃にはすでに「南京町」と呼ばれ始めたそうです。「南京町」という名前は、当時の日本人が中国から来た人や物を、親しみをこめて「なんきん(さん)」と呼んだことに由来し、横浜でも戦前は「南京町」と呼ばれていましたが、戦後に「中華街」と名前を改めています。神戸では、伝統ある名前に誇りを持った人々が、変えることなく現在も使い続けています。

 

【南京町の現状】現在の神戸南京町は十字路になっていて、中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「海栄門」という名前の門(牌楼)があり、北は元町商店街につながります。東西約280メートル、南北約110メールの範囲に、料理店や軽食・食材店、趣味・雑貨店など100余りの店舗が軒を連ねています。横浜中華街と比べると規模が随分と小ぶりですが、中華街らしい雰囲気を楽しめる人気の観光地となっています。リーズナブルな価格で手軽に食べられる中華料理が多く、また、テイクアウト形式のお店が増えていますので、少しずつたくさんの料理を楽しむのが特徴です。

南京町では、毎年1月から2月下旬、中国の旧正月を祝う春節祭が開催され、町全体がお祭りの会場となり、獅子舞や龍舞、中国舞踊、太極拳の演武などさまざまな催し物が全国から多くの観光客を集めています。現在春節祭は地域無形民俗文化財に指定され神戸を代表するイベントになっているそうです。これからも神戸華僑の人々が日本人社会と一層良好な関係を築き、南京町の更なる発展を推進していくことを期待しています。

神戸南京町、加油(頑張れ)!