MENU

教員コラム

2021.08.04 - コミュニケーション学科  横浜中華街は中華料理の街だけではない

「今までは、横浜中華街といえば、中華料理というイメージしか持っていなかったが、そうではないことがよくわかった。」「中華街から食文化以外の中国文化も学ぶことができた。」「中華街で初めて気づいたことが多かった。」「これから中華街に行ったら、料理以外のものにも注目したい。」これらは私が担当しているプロジェクト科目(3年次春学期)を履修した学生たちの感想の一部です。本来なら、中国現地で文化の調査・研修を行うべきでしたが、コロナ禍の影響で横浜中華街から中国文化を学ぶことに変更し、歴史や文化などについて事前学習をした上で、6月下旬現地調査を実施しました。ここでは、中華街のシンボルの一つである「関帝廟」を紹介したいと思います。

「関帝廟」は中華街の関帝廟通りと中山路の交差点の場所に位置し、三国志で有名な武将である関羽が主神(関聖帝君)として祀られているお寺です。関帝(関羽の別称)は、中国で最も信仰を集める神で、孔子を祀る孔子廟を「文廟」というのに対して、関帝廟を「武廟」と呼ぶ場合もあります。中国国内はもちろん、世界中の中華街(チャイナタウン)に必ずあるといってもよい寺院です。関聖帝君は優れた将軍であるだけでなく、古代中国で広く使われた算盤の発明者でもありました。苦難に立ち向かう誠実さ、強さ、勇気の象徴であり、今日では、一般的に商売繁盛と富の繁栄をもたらす神として崇められています。

1871年に建立された初代の関帝廟は1923年の関東大震災で、二代目は1945年に第二次世界大戦中の空襲で焼失しました。三代目の廟も1986年に原因不明の火災に見舞われました。現在の建物は、四代目として1990年に再建されたものです。150年歴史のある関帝廟は、華僑、華人のシンボルであり、心のよりどころで、幸せを願う場所であると共に、廟の屋根の上に地球を掲げていることにより、世界平和を祈り、全ての人々を受け入れる場として発信しています。

横浜中華街は160年あまりの歴史を歩んできました。その中で、関東大震災や大空襲など極めて困難な出来事に遭遇してきたにも関わらず、国や文化を超えてみんなで一致団結し、再建・復興・振興に努力し続けてきたからこそ、現在の横浜中華街があると思います。本調査を通して横浜中華街は、もはや中華料理の街だけではないことを再認識しました。