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教員コラム

2025.09.26 - 共生デザイン学科  ゼミナールについて

私が大学生だった頃の学生生活を振り返ると、思い出されるのは授業で学んだ内容ではなく、ほとんどすべてがゼミナールで学んだことです。
私は大学4年間のなかで、4つのゼミナールに所属していました。今回のコラムではそのうち2つのゼミナールについて紹介します。
1つめは大学2年生から仲間数名と自主的に活動した「風土ゼミ(亀山ゼミ)」です。1990年代当時、和辻哲郎氏の「風土論」を批判的に継承したフランス人の地理学者・哲学者オギュスタン・ベルク氏の『風土としての地球』を皮切りに、日本国内の環境系研究者や活動家らが自然環境と社会環境を統合的に捉える「風土」概念に注目していました。私も「私が学びたいのはこれだ!!」と思いました。ところが、私の在籍学科は自然環境について学ぶ理系の学科でしたので、哲学書を独力で読み込むことは難しく……そこで、日本思想・哲学がご専門の他学科の亀山純生先生に「週1回、先生のご都合の良い時間帯でいいので風土論の文献輪読ゼミをやっていただけませんか」と直談判したのです。亀山先生は嫌な顔ひとつせずに「遅い時間になってもいいなら」と、授業がすべて終わった夜の時間帯に、終わりの時間は特に決めずにとことん、それこそ終電ギリギリまで、私たちの文献解釈を深めるために専門的な哲学用語や概念を丁寧に解説してくださりました。和辻哲郎の『風土』が読み終わったあと、亀山先生から「この1冊で終るのはもったいない」と言っていただき、志賀重昂氏の「風景論」や桑子敏雄先生の「空間の履歴」など、次々と、たくさんの本に囲まれた小さな研究室で膝をつき合わせるようにして学びました。「風土ゼミ」での学びは、今も私の研究者としての指針であり基盤となっています。
2つめは大学3年生から正式に所属した「水環境保全学研究室(小倉ゼミ)」です。小倉ゼミには所属するまでの選考申込み以前にドラマがありました。そもそも私が小倉紀雄先生に初めてお会いしたのは大学ではなく、多摩川の河川敷でした。大学1年生の時に参加した「多摩川レンジャー育成講座」(私は第1期生でした)に関連した水質調査の講師が小倉先生で「私も東京農工大学環境・資源学科の学生です!」と自己紹介したところ「今度、研究室にいらっしゃい」と誘っていただいたことがきかっけです。大学生の頃の私の活動フィールドは多摩川だったので、小倉先生が理事を務めるNPO多摩川センターの活動ボランティアや、府中郷土の森のなかにある「多摩川ふれあい教室」スタッフとして、今から思うと、自然体験教育の専門的な知識や技術を、その道の一流の方々から直に教わる機会を得て、自由に伸び伸びと活動していました。そのような自由奔放な(ある意味、大学の授業の枠に収まらない)私を見ていた小倉先生は、正式なゼミナール選考申込み期間の個別相談の場で「さっこちゃんは、僕の研究室だったらやりたいことができると思うけれど、他の研究室では絶対にやりたいことできないよ!」と、いつもの穏やかな口調とは異なり、はっきりと仰ったのです。それは、ゼミナール選考申込期限の前日のことでした。実は私はその時「小倉先生には大変申し訳ないのですが、大学入学当初の想いがランドスケープデザイナーになりたくて、わざわざ前の大学を中退してまで入ってきたので、やっぱり造園が専門の〇〇先生のところに申し込もうと思います。」とお詫びに伺ったのでした。ところが、前述のように、小倉先生にはっきりと言われてしまったので、最後の最後まで悩みぬいて、正式な所属ゼミナール選考申込期日ギリギリに、私は「尊敬する小倉先生がそこまでおっしゃるのならば従ってみよう」と小倉先生のゼミナールに申込みました。そして、その選択は、やはり本当に様々な意味で正解だったのです。そのうちのひとつとして、私が今いる関東学院大学のポストは水環境を中心とした自然共生デザインでの募集だったのですから。人生は面白いものです。
このように大学生の頃の私を振り返ってみると、若気の至りだらけ、怖いもの知らずもいいところ、だったと思います。そして、そのような勢いだけで突き進む大学生の頃の私を、4つのゼミナールの恩師の先生方は本当にあたたかく受け容れてくださりました。
私は今、その頃の恩師の先生方のことを思い出して、私に注いでくださっていたお気持ちを感じながら、学生たちと接しています。

おわり