2019.04.25 - 共生デザイン学科 藤本 憲太郎 「疑い」こそ想像の源 − 日常を疑う
教員コラムでの「……を疑う」シリーズ第4弾です。「えっ、信じるんじゃなくて……?」と思いましたか。あなたは、きっといい人に違いない。でもね……。
始めは、「人は住宅にしか住めないか」という題で書こうとしていたのですが、その前に思い出したことがあったので、こちらについて。
設計演習(とくに低学年)の案を学生と一緒に検討する時によく見られる場面の一つには、以下のようなやりとりがあります。
「どうして、こうしたの?」
「家がこうなんです」
「でも、こうする方が気持ちよく使えそうでしょう?」
「はい。でも、家がこうだし、友だちの家もこうなっていたので」
たとえば、シンクと冷蔵庫がちょっと遠いような場合でも、彼または彼女はなぜそれが問題になるのか不思議なよう。「だって、普通でしょ? 家がそうだもの」というわけです。すっかり馴染んでしまっているせいで、さほど不都合を感じることがない。
日常的な経験や慣れは手強い。他の経験が乏しい場合はなおさらです。
そして、それらが悪いというわけではありあません。と言うか、むしろとても大事にすべきことだと思うのです。が、ただ、これを絶対視している限り、新しいアイデアや場面は生まれないし、今までに見たことのない景色をつくり出すことは出来ない。
自身が経験し慣れ親しんだものとは異なるものを積極的に見て、それらを比べる(つまり相対化する)ことによって、それらの良い点や悪い点を把握し、その後で何かをつけ加えたり、減らしたり、変化させたり、あるいは全く違ったものとするのが良い。すなわち、もっと良くしたいと思うならば、今あるものを当たり前としないで、「疑う」ことが大事な役割を果たす、と思うのです。
手始めに、みなさんがあって当たり前、ないと困ると思っているもの、たとえばスマホの電源を一度切ってみると良い。そのことが生活のありようにどのような変化をもたらすのか、あるいはもたらさないのか。実際に試してみる、体験してみるのが一番です(自分が望ましいと思う生活にとってどちらがより相応しいか、良いか悪いか考えるのは、その後で)。これは誰もが、簡単に出来ることです。
住まいのことで言えば、たとえば部屋全体を明るくする天井灯を消して、小さなスタンドライトなどだけを点灯してみるのです。テレビを消してみるのもよいかもしれません。きっと、慣れ親しんだ生活空間が違って見えるはず。きっと、その違いに驚くのではあるまいか。
1年生が初めてインテリアをデザインする演習では、与えられた空間を、お風呂や洗面所・トイレの水廻りスペースを除いて(これだって、必ずしも除かなくてもと思うけれど)、壁やドアを使わないで家具で仕切ることによって必要なスペースをつくりだし、しかも訪問客があった時のプライバシーも確保するという課題をやりました。
すなわち、寝る場所と寛ぐ場所を壁で仕切られた部屋としてはいけない。プライバシーを守るのに、壁やカーテンを用いることはできない。当たり前と思っていたやり方を禁じられた学生たちは、当初はいちように戸惑っていたようですが(何しろ初めてのことですから)、家具の置き方一つで、生活の仕方も景色も変わるということに気づいて、やがて面白いものが出来てきます。
日常を大事にするのと同様に、その一方では日常の当たり前を疑う目と心を持つことが、デザインするためには欠かせない。そして、それこそが日常を豊かなものに変える力となる。念のために付け加えるならば、これは奇抜なものをつくりなさいということとは全く異なることなのです。