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教員コラム

2015.07.16 - 共生デザイン学科  「デザイン」という行為について-「オリジナル信仰」を疑う

皆さんは、「デザイン」に何が必要だと思いますか。

「使いやすさ」、「耐久性」、「かっこよさ」でしょうか。これらは、「用」、「強」、「美」と呼ばれるデザインの3大要素ですね。それから、「独自性」を挙げる人も多いのではあるまいか。いずれも当たり前のことのようですが、とくに4番目の要件は少々やっかいです。他とは違う「オリジナル」なものをどうして生み出すのか。学生たちも苦労しています。

今年の3年生のゼミでは、昨年のアッキレ・カスティリオーニに加えて、アンディ・ウォホールマルセル・デュシャンなどの作品の制作手法について研究し、ここで学んだことを援用して作品をつくることをめざしてやってきました。一言でいえば、「デザインとはどういう行為か」ということについて考え、理解を深めようということなのですが、昨年に比べると、分析的というよりは総合的に、元となった思想よりも手法、その現れ方に重きを置きました。

抽象的な理念でわかったつもりにならないように、そしてとくにつくる際には理屈だけということにならないようにという気持ちからのことです。そして、もうひとつ、何かをつくろうとする時に、はじめからオリジナルなものから出発しなければならないという考えから自由になってほしいとの願いがありました。学びはじめの頃には、とくに大事だと思います。

ところで、上にあげた3人は、いずれも「レディメード」、すなわちすでにあるものを使って作品をつくりあげたデザイナー、美術家です。

ところで、彼らを分類するならばデザイナー、美術家で、少なくとも建築家やインテリア・デザイナーではありません。一方、ゼミ生たちは空間のデザインに関心を抱いて当ゼミにやってきたのです。にもかかわらず、空間に関わるデザイナーを取り上げないでプロダクトやアートの分野で活躍した人物を取り上げたのは、ちょっと変なようですが、ちゃんとした理由がありました。彼らが「すでにあるものを使ってデザインする」ということを最も端的に表現していたためなのでした(建築の分野でも、同様なことはもちろんあるのですが、ちょっとわかりにくいことがあるのです)。


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制作途中の作品(モンタージュ)

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昨年度の作品(再掲)

ただ、今年は表現する対象を空間に限定することにしました(昨年は、とくに決めなかったのですが、カスティリオーニの影響が大き過ぎたようで、照明器具が多かった)。学生たちは、すでに存在しているものを使って、バスストップをデザインすることに鋭意取り組んでいます(現在のところまだ試作の段階ですが、いずれ展示する予定)。

創造するという行為は、過去のものを再生産することではないし、過去に縛られるものでもないことはあきらかだと思いますが、それでも過去の作者たちや彼らの作品の上に成り立っているはずなのです。たとえば、近代デザインの父とされるウィリアム・モリスや20世紀後半のある時期に世界の建築理論をリードした建築家の磯崎新、最強最長のロックバンドのひとつローリング・ストーンズのギタリストであるキース・リチャーズ、さらにはデザイン大国イタリアのボローニャの産業博物館の元の館長のいずれもが、言葉は違っても、「過去に学ぶ」重要性、あるいは「過去のものから出発する」ことの有効性について言及しています。

ところが、学生たちを見ていると、オリジナルなアイデアを求めようとして、ずいぶん長い時間を使っているようです。おまけに最初のアイデア(とくに、コンセプト)に執着しようとしているように見えるのです。他者の作品を参照し、触発されたアイデアから出発し、これを育てようとするやり方はほとんど見られないのです。いわば、オリジナル信仰症候群と呼びたくなるような案配です。

オリジナルであることや自分らしくあることは誰しもが望むことだけれど、最初からそうである必要はないし、そもそもできないと思います(皆さんがまだ慣れていなかった頃の洋服の選び方のことを思ったら、すぐわかるはずです)。

だから、レポートや作文などでうまく行かない時は、はじめは借り物でもいいから、これを「自分だったら」という気持ちで眺めながら、少しずつ思いついたことを加えながら育てていくと、やがてあなたらしいオリジナルなものができるはずです。あなたの目に見えるものが、あなたを触発し、新しいアイデアを呼び起こすのだと思います。「アイデアを忘れないように、ノートと鉛筆を手放さない」、「描くことで、思考が深まり建物の形が見えてくる」とあったのは、世界的な建築家ノーマン・フォスターのドキュメンタリ映画でした。

藤本 憲太郎(人間環境デザイン学科)