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教員コラム

2025.06.11 - コミュニケーション学科  日本最古の唐寺:長崎興福寺

長崎市と連携し多文化共生を理解するための教育活動を実施するきっかけで、長崎市を訪れる機会が増えました。長崎には、日本(和)、中国(華)、オランダ(蘭)の文化が混じり合って形成された、独特な文化「和・華・蘭文化」が存在しており、海外との交易や文化交流の歴史から、様々な要素が融合し、独自の文化として発展してきたことがよく知られています。今回は日本最古の唐寺(中国様式の寺)と称されている長崎興福寺を訪れ、中国文化の影響および日本文化との融合について見学しました。

興福寺は1620年(元和6年)に、当時、長崎には多くの中国人(特に福建省出身の唐人)が居住しており、彼らのための仏教寺院として創建されたそうです。創建者は中国福建省出身の僧・隠元隆琦の弟子である唐僧・真円でした。別名として「唐寺」とも呼ばれ、中国風の建築様式を色濃く残している点が特徴です。江戸時代、長崎は唯一の対外貿易港として中国やオランダと交流があり、興福寺は中国人の精神的拠り所となっていたようです。

興福寺の入り口に「山門」という建築物があります。唐風で総朱丹塗りの豪壮雄大な外観をもちますが、細部には和風様式を基調とする日本人工匠の手によるものも見られます。山門をくぐると、すぐに「本堂」(大雄宝殿)の厳かな雰囲気に圧倒されました。朱色を基調とした建物が印象的で、中国風の屋根の反りや装飾が特徴的です。「本堂」では、仏像や仏具がきちんと整えられており、訪れる人々の静かな祈りの場となっています。

境内には立派な「鐘鼓楼」もあり、当時の技術と美意識が反映された造りでした。屋根の鬼瓦は外向きが鬼面で厄除け、内向きが大黒天像で福徳の神という珍しいもの。「福は内、鬼は外」の意味と解される日本人棟梁の工夫であるそうです。庭園はよく手入れされており、池や石、植栽の配置が非常に美しく、静けさの中に和の精神が感じられます。

また他にも多くの文化施設(媽祖堂や三江会所門、旧唐人屋敷門など)があることから、興福寺は、ただの寺院ではなく、日本と中国の文化的・宗教的な交流の象徴でもあることがよく分かりました。境内には漢文の石碑が多数あり、中国から渡来した僧侶たちの名前も刻まれています。国際港であった長崎ならではの歴史の一端を感じました。

興福寺を訪れて、長崎という町がかつてどれほど国際的な場所であったかを実感しました。静かな境内にたたずみながら、当時の人々がどのように祈り、暮らしていたのか想像し、歴史に思いを馳せる貴重な体験ができました。また、異国文化を受け入れ調和させていった日本人の柔軟さと敬意の心にも感動しました。

山門

本堂

鐘鼓楼

庭園