2018.09.10 - コミュニケーション学科 川村 覚文 資本主義と中国
8月の上旬に、国際学会への参加のため中国の上海を訪れました。
最後に上海に行ったのは2014年だったので、およそ4年ぶりとなります。初めて訪れたのは2007年であり、それ以来、訪れるたびに劇的に変化している街を前にして、目を見張るばかりです。
凋落していく日本を尻目に、アメリカと争うスーパーパワーとして台頭する中国の勢いは、上海においても如実に感じられました。
現地滞在中、とりわけ考えさせられたのは、これまでは資本主義との組み合わせにおいて、それともっとも相性の良いものとは、アメリカに典型的に見られるように(政治的・経済的な両面を含めた)自由主義であると見なされてきたのに対し、中国の台頭はそのような常識が覆されることを意味しているのではないか、ということでした。これは別に中国が自由な社会ではないという意味ではありません。むしろ、人々の行為や振る舞いなどをみていると、日本などよりもはるかに自由である局面の方が多いと思います。
ただ、重要なのは、そういった人々の自由を前提にしつつ(これは資本主義の発展のために核となる要素でしょう)、それを自由主義とは全く異なる形で、政治・社会・経済的に統治する方向性が中国では目指されているように思われるということです。これはまた、社会主義や共産主義といった言葉では理解できないものでもあると思います。このような、これまでの常識では捉えきれない隣人と、どのように向き合っていくべきか、我々はもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。