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教員コラム

2026.07.08 - コミュニケーション学科  雪国

川端康成の「雪国」という小説を知っている人は多いと思います。「あまりにも有名な書き出しで知られている小説」などという表現で語られることも多いですが、この「あまりにも有名な書き出し」を正確に言えますでしょうか。
正解は、
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった
です。「有名な書き出し」と言われる割には、人によって
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった
や、
トンネルを抜けると雪国だった
など、必ずしも正確に記憶されているわけでもないようです。
特に、「そこは」が入る形で記憶している人は多いようですが、原則として文章には主語が必要ですので、主語のない本来の文章のままでは、日本語の表現上不都合なのでしょう。このあたりは、小説という文学作品であるから許される表現なのでしょう。

さて、この「国境の長いトンネル」というのは、一般に、群馬県と新潟県の境になる谷川岳の下を通る、清水トンネルのこととされています。もちろん新幹線ではなく、在来線の上越線のトンネルです。(この小説が書かれた昭和初期のころには上越線は単線でしたが、現在では複線化され、東京方面から行くと、新清水トンネルという少し長い別のトンネルを通ることになります。)
この書き出しの文章について、「冬季に東京側から清水トンネルを抜けて越後湯沢側に出ると、関東の雪のない世界からは劇的に変わった、一面雪に覆われた景色になる」などと言われることがしばしばあります。下の写真は、清水トンネルを抜けた直後の土樽駅近くの冬季の様子です。

土樽駅付近(Wikipediaの土樽駅の記事内の画像をCC BY-SA 3.0のもとで加工)

しかし、実際に冬季に現地に行ってみると、この小説で表現されている風景とは異なることがわかります。冬季には、清水トンネルのかなり東京寄りの水上温泉あたりから、既に一面雪に覆われています。つまり
国境の長いトンネルに入る前から既に雪国であった
が現実です。現地周辺の積雪量を確認してみると、「雪国」に書かれているような情景が出現するのは、秋と冬の境目、冬と春の境目の、せいぜい一週間から十日間だけのことであることがわかります。実際に小説で想定されている時期は、12月初め頃です。 (小説ですから、現実を表現しているのではなく、世界が変わるという象徴的な意味だ、という説明はできるでしょうけれど。)

また、「雪国」は「美しい小説」と言われることも多いですが、この小説全文を読んだことはありますでしょうか。確かに、書き出しの文章は表面上美しく見えますが、小説の内容は、少なからず不気味なものです。そもそも、主人公の一人である「島村」は、妻子がありながら、働きもせず、ぶらぶらと暮らして、時々雪国の宿にやってきて芸者と・・・、という話なのですから、中学生に読ませたいような内容ではありません。
内容はかなり退廃的・破滅的で、「退廃の美学」というのであれば確かに美しいと言えますが、「美しい小説」と言う人たちは皆がそのようなことを含む複合的な意味で言っているのでしょうか。(ちなみに、「雪国」が書かれてそれほど時間が経たない頃に小林秀雄などが書いている評は、「退廃の美学」を正しく理解しています。本来的に美しくないものを、部分的に美しく見える文章で包んでいる、とでも言えばよいのでしょうか。)

学問というものは、他人が言ったことをそのまま取り入れるというものではありません。「誰かが言っている」、「友人から聞いた」、「SNSで見た」、「先生が言っていた」、「教科書に書いてあった」ではだめなのです。内容を自身で確認し、納得すること、これが、学問の基本中の基本です。
高校までの勉強では、教科書に書いてあることや、先生の言っていることをそのまま知識として取り込むことも多いと思います。大学での学問は、それとは根本的に異なり、全て自身で確認し納得しなければならないことを、知っていてください。