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教員コラム

2025.12.17 - 共生デザイン学科  海辺がどうパブリックスペースになるのか

夏の海は、海の家が出たりして、
商業空間的になるのが、私はちょっと苦手です。
賑わっていいじゃないかという方も多いことは承知していますが、
私は閑散としているオフシーズンの海の方が、断然、好きです。
人が少なくて、ちょっと寂れた感じの海の方が、
パブリックスペースを堪能できるからだという気がします。

海辺は究極のパブリックスペースになり得る空間だと、
ある意味では強く思い込んでいるからでもあります。

高校まで広島で育った私は、大学に入って東京に出てきたとき、
鎌倉は由比ヶ浜の海でボーッと過ごしていたことがありました。
それは自分にとっては、大事な時間だったと思います。

田舎から出てきて、あまりに急激な環境の変化と
情報の多さに目まぐるしさを覚えた時に、
自分を空白にする
そういう事を、無意識でか、意識的にか、
自分はやっていた。
その時、わりと近くに海があってくれて、本当に良かったと思います。

海辺はいろいろな人を受け入れて、
ただそこにいさせてくれる。
一人のためのパブリックスペースとしては、
最高の場所です。

さて、
普段ならあまり寄り付かない、夏の海水浴客などで賑わう三浦海岸で、
今年、ちょっと特別なベンチをつくりました。経緯はこんなかたちです。

この夏、三浦海岸で、海水浴場の運営期間の約2ヶ月間、
三浦海岸アートフェスティバルというイベントが行われました。
コロナ禍のなかで、それまで三浦海岸で海の家を運営していた組合が撤退し、海水浴場の賑わいがなくなりました。三浦市が観光協会と連携して海水浴場を運営することになったのですが、新しい体制で海の家を営業する許可が、今のところ神奈川県土木からおりないそうです。海の家は、昔からそこで営業しているという既得権的な性格で営業許可が下りているという側面が強く、一旦、その組織が解体してしまうと、新しい組織が同じ許可を得るのは困難なのだそうです。
そこで、三浦海岸アートフェスティバルという新しいイベントを興して、これまでとは違う夏の海水浴場を作ろうという試みが行われました。
ミッションは、海の家が出せず、あまり商業的な活動ができない海岸を、
どうやって素敵な場所にし、多くの人が三浦海岸をこれまで以上に楽しめるようにするかです。海の家で飲食などができない代わりに、海岸周辺の店に人が流れ、
小さなレストランや商店が賑わえばという、三浦海岸駅周辺のまちを活性化しようとする試みでもあります。

お声がけいただいて、そこに長さ60メートルの「IKADA(筏ベンチ)」という作品を設置しました。

 

このベンチの特徴は、三浦海岸の隣の金田漁港で使われている生簀用の材木の廃材を再利用していることです。ステンレスのバンドで束ね、海岸の砂を詰めた土嚢に乗せているだけのシンプルなデザイン。海岸に流れ着いた流木のように、自然に帰りつつある素材の魅力をそのままベンチとしています。筏は束ねる木材の数や長さに左右されず、自由に組み上げることができます。1段積むと砂浜に近い地べた座りのような座り方ができ、2段積むと通常の椅子の高さになって、より座りやすい。長く束ねることで安定性が生まれ、転倒などの危険も減ります。雨風にさらされた杉の古材は適度に表面が柔らかく、水着で直接腰掛けても座り心地が良い。熱い砂浜に座らなくて良いのは助かると、多くの人々から好評をいただきました。

木材への加工を全くしないため、アートフェスティバル終了後はバラして、また元の木材に戻し、お貸しいただいた方にお返ししました。

三浦海岸のスケールに相応しい、大きなスケールを持つベンチとして、できれば今後も続けていきたい活動です。

最後に、学生時代の話に戻りたいと思います。
大学院の頃、友人たちと一緒にResponsive Environmentというメディアアートのユニットを結成し、活動を行っていました。
鹿島出版会が今でも主催している、「SD Review」という歴史ある展覧会に「ダンスパフォーマンスのための舞台装置」という作品を選んでいただき、展示したときに、審査員のお一人からいただいた、とても辛口な、むしろ否定的なコメントがありました。

補足しますと、この展示は、実際に海岸でダンスパフォーマンスを行なった映像をビデオプロジェクターでスクリーンに写し、スクリーンを背景として、たくさんの柱で台から宙に浮かせたような装置の模型に重ねて見せる物です。ちょうど観客と同じ目線になるように模型の高さを設定して、ヘッドフォンで音楽を聴きながら映像を見ることでパフォーマンスを想像してもらうようなインスタレーションを展示スペース内に作りました。「SD Review」は展覧会終了後に建築雑誌「SD」で特集され、そこに審査員のコメントが載ります。そこで我々は初めて、各審査員からの講評を受け取るわけです。

最悪のコメントをくださったのは、その後日本を代表する世界的な建築家となられた妹島和世さんでした。そのコメントが未だに強く心に残っています。それは以下のような短いコメントでした。

「会場で椅子に座ってヘッドフォンをして映像を見ると、その世界に入っていってなかなかいいなと思ったが、時間がたつにつれ、作られた装置は本当に必要だったのだろうかという疑問がわいてきた。もしかしたら椅子ひとつでも良いのではないかという思いがした。(妹島)」

要するに、作品を全否定しています。。。

その後、いろいろな形で妹島さんとお会いする機会もあり、色々とお世話になったりもしていて、大変尊敬する建築家の先輩からいただいた、このコメント。
結局、ご本人から直接、もっと詳しい感想を聞く機会が無いまま、(というより、全ては書いてある通りなんだろうなと受け止めたからでもありますが)、心に引っかかっています。

今、思えば、
このコメントが、ずっと心に引っかかり続け、
むしろ引っかかり続けてくれたおかげで、
その後の私の制作活動に大きく影響したのだと思います。

その場に応じた、できるだけ素に近いものをさりげなくつくる。
建築を設計する際にも、物をつくる際にも、
常に、「本当に必要だったのだろうか」という他者の眼差しをどこかに意識し、
本当に必要な物をつくる。
こうした意識を持ちながら、日々の制作を続けています。

今回、制作の前にロケハンをしていて、初夏の三浦海岸を歩いていたとき、
海岸の流木に目が止まりました。
おそらく、サーファーか、いつもそこを散歩している人が、
海を眺めながら一休みできるように、
ちょうどいい位置と角度に少しだけ動かして置いてある流木。
これが海辺には一番ふさわしい什器なんだなと思いました。

「IKADA(筏ベンチ)」で、サーファーの流木にも似た、なんの変哲もない、
ベンチができました。

海辺で設置作業をしていると、60メートルもあるので、少し離れたところでは、
作品制作中だということが伝わらないのか、
あるいはただ単に、夏の海岸には、
誰も制作者のことなど気にしない勝手にしやがれのムードがあるからのか、
材木を並べて置くはじから、
どんどん人が座り始めて、設置作業が難しいという状況すらあるほど、
とても沢山の方に座っていただきました。
「ああ、ここにはこれが必要だったのね。」

こんななんの変哲もない流木のようなベンチができたことが嬉しくて、
この夏は、何度も人でごった返す
三浦海岸の海水浴場に通いました。
特に、ちょっとだけベンチのメンテナンスをしたあと、
少し閑散としてきた夕刻の海辺で、
暮れなずむ海の中に入り、クールダウンするひと時が、
ジーンと心に残る、最高の思い出になりました。