2019.03.10 - 共生デザイン学科 日高 仁 空間デザインとコミュニティデザイン③:瀬戸内海の「しまなみ海上列車」プロジェクト(その①)
私は広島の出身です。
瀬戸内の多島海風景の美しさに気付いたのは故郷を離れ、東京で暮らし始めてからでした。高校までを過ごした実家は広島市内の小高い山の上に建ち、家からは毎日、多島海の風景を眺めて育ったのですが、その頃は、それが当たり前だと思っていたのか、あまり強い愛着を持っていなかったように思います。しかし、今では、瀬戸内地域は日本では最も美しい場所であり、世界的にみてもトップクラスの素晴らしい環境だと考えるようになりました。
気候が温暖で雨は比較的少なく、いつも穏やかな海。一時は、瀬戸内工業地帯が形成され、工場排水などによって汚染されたこともありましたが、工場の移転や下水道の普及率が高まったことにより、今では瀬戸内海の透明度は大変高くなりました。海の幸にも恵まれ、どんな小さな島に行っても、美味しい魚料理を食べることができます。農業も盛んで、温暖な気候を生かして、柑橘類などの果物の宝庫です。また、まちなみも美しく、古い港町に残存する古民家は焼き杉と漆喰、黒瓦からなる素朴で美しい建築です。人々もゆったりと暮らしていて、訪れる我々も、自然にそこに広がる風景と同じ穏やかな気持ちになっていきます。こうした瀬戸内の魅力を一言でいえば、「何にもないけど素晴らしい」というものです。
広島は原爆記念公園や厳島神社があることで、多くの外国人旅行者が訪れます。しかし、これらの観光名所だけ訪れたのでは瀬戸内海の風土的な魅力を感じるには十分でないかもしれません。
恐らく、瀬戸内海の魅力が外国人に知れ渡った大きなきっかけは2010年から行われるようになった「瀬戸内国際芸術祭」というイベントではないかと思います。3年に一度開催されるトリエンナーレ形式で、今年2019年には第4回目のイベントが開催される予定となっています。イベントの会場は岡山県と香川県の間に広がる備讃瀬戸の島々で、このイベントが行われるまで、直島や豊島、犬島、男木島、女木島といったイベントの主要会場となっている島々にわざわざ行く人は殆どありませんでした。これらの「何にもない瀬戸内の島々」を、アートフェスティバルという仕掛けは、巧妙に、何にもないことの魅力も含めてアピールし、単なる観光地ではない、瀬戸内の日常的な魅力も体験することができる場を提供しています。海外に住む私の友人達にもこのイベントは人気で、何度も訪れるリピーターが多いのも特徴です。
私がこの瀬戸内でプロジェクトを始めるようになったきっかけは、2009年に今治市主催で行われた「しまなみ海道10thアニバーサリー企画提案公募」における応募案が最優秀賞を受賞したことでした。まだ第1回「瀬戸内国際芸術祭」が行われる前のことでした。「瀬戸内国際芸術祭」で総合ディレクターを務める北川フラムさんも審査委員のお一人でした。きっと翌年行われることになっていた芸術祭の仕込みに忙しい合間を縫って審査して下さったことと思います。審査委員長は建築家の伊東豊雄さんでした。伊東さんはその後、しまなみ海道が通過する島のひとつ、大三島に伊東豊雄ミュージアムをつくり、伊東建築塾の活動などを通じて地域に強いかかわりを持って活動されています。
我々が参加した「しまなみ海道10thアニバーサリー企画提案公募」というコンペはおかしなコンペでした。というのも、しまなみ海道は、地域をあまりにも大きく変えてしまい、その変化は必ずしも良いものばかりとは言えない状況だったからです。確かに10周年ではあるけれども、それを単純にお祝いすべきとは思えないというのが、コンペに参加したときの私と、共同提案者の西澤高男さん(東北芸術工科大学デザイン工学部:建築・環境デザイン学科准教授)の共通した見解でした。
瀬戸内海の島嶼部であるしまなみ海道エリアに共通した課題としては、高齢化・生産年齢人口の流出を背景とした過疎化が挙げられます。1999年に開通したしまなみ海道によって、生活は一見、便利になったように見えますが、一方で、本州や四国と陸続きになったことによるストロー効果によって、人口流出が加速していることも指摘されます。ストロー効果というのは、まるでストローで吸い取られるように、しまなみ海道によって人口が島から周辺の都市部へと流出してしまう現象を表します。高速道路だけでなく、鉄道や新幹線などの大きな交通網が整備されたときにも見られる社会現象です。不便な島の暮らしをよくするために、島民はしまなみ海道の開通を願いました。やっとしまなみ海道ができると、陸続きになった今治や松山、尾道、三原や広島などの都市部に車で出かける機会が増えます。買い物に通っているうちはまだいいかもしれませんが、職場が移転したり、家族が病院に入院したり、子供が高校や大学に通ったりというきっかけ等によって、都市部に引っ越してしまう人が後を絶たないようです。せっかく島の暮らしが良くなると思って高速道路を作ったのに、何だか矛盾しているような現象だと言えます。
こうした変化と合わせて、何よりも大きいのが、歴史ある港を中心としたまちなみの変化でした。自動車交通にとってかわられた船舶交通の衰退は甚だしく、船の減便、廃止がとめどなく続き、結果として、廃港になった港が多くみられます。多くの街は港を中心に発達してきた歴史がありますが、その中心にあるべき港が空洞化し、むしろまちの裏側を走っていた道路を中心としたロードサイドの街が発達したため、まちの表と裏が入れ替わる「裏返り」の現象が随所にみられるのです。港の空洞化。これも、しまなみ海道沿いの街の共通した課題です。
縮小社会に突入した日本は、至るところで人口が減少しており、島嶼部の過疎化を止めることは、余程のことが無い限り難しいと考えられます。しまなみ海道沿いの島々でも人口減少は進んでいますが、周辺の離島では、過疎化はさらに深刻です。離島の中には人口数十人という島もあり、そうした島では病院や郵便局などはもとより、商店なども撤退し、日々の暮らしが困難になるという状況があります。それらの島々は現在、船便に依存し、台風などで海路が使えない場合は物資が不足します。また、緊急時にはヘリコプターを利用した救急活動なども行われています。こうした生活利便性の極端な低さが、島の人口減少に拍車をかける、負の連鎖が生じているという状況です。