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教員コラム

2022.11.07 - 共生デザイン学科  気付きのデザイン

グラフィック・プロダクトデザイン分野担当の淡野です。
私は「気付き」をテーマに様々なかたちで研究制作を行なってきましたが、近年はその気付きを促すデザインとして、幼児用造形パズルとしての具現化を試みています。もう少し具体的な題目(テーマ)は「具体的だけど何でもない 造形の研究」としています。

パズルというと、ひとつひとつのピースが何かの生き物や乗り物などといった、具体的でよく知っている形をしている。または、ピースのカタチが何だか分からなくても、組んでいくうちに見覚えのあるものの写真になっていく、といったものが一般的ですよね。つまり“知っている”カタチや絵(画像)を楽しむおもちゃのひとつであることが理解できます。

私の考えるパズルはそこが少し違います。何やら具体的なカタチをしているのだけれど、あえて似てそうな“アレ”にしては特徴が違うな?というように、ひとつひとつのピースが具体的なカタチをしているのだけれども、何だかわからない、というように敢えてさせています。そんなカタチにすることで何が楽しいのだろう?と考える方も多いかと思います。無論、面白いかどうかは大人も子供も人それぞれですので、これは絶対面白い、と断定できるものではありませんが、考えさせる、ということを促すことは可能です。

私には現在幼い息子がおります。上の子は4歳、普通に会話ができるようになりましたが、まだまだわからないことだらけですから毎日毎度「なんで?」の応酬です。子供から見た世界は不思議なことで満ちています。それらをひとつひとつ確認しながら物事を理解していきます。

そんな幼い子供たちもやがて組織的な教育の中で、答えのある学びを習得する機会が増えていきます。そして、その回答に適切に答えられるかが問われるようになります。無論、こうした学びも大切ではありますが、そうした学びは同時に創造性や想像性が損なわれる可能性があります。

これはある程度仕方のないことで、例えば子供の描く絵は無秩序で自由、何の入れ知恵もない瑞々しいものです。しかし、絵を描く上での物の観方や描き方等を徐々に学んでいくと、やがて写実的で上手な絵が描けるようにはなるでしょうが、同時に子供の頃のあの瑞々しい自由な絵は描けなくなってしまうものです。

話を戻しましょう。
私が取り組んでいる「気付き」のデザイン。それを具現化させた「具体的だけど何でもないカタチ」のパズルは、何でもないのでそのものに答えがありません。遊ぶ子供たちそれぞれが、あれでもない、これでもない、と心に思い浮かべ想像を巡らせることで、それぞれが思う自由な答えを見つけてもらいたい、ということを目的としています。

実はこの「具体的だけど何でもないカタチ」。つくるこちらもかなり大変です。大人になると頭が凝り固まるので、自由なものをカタチ造っているつもりでも、どうも何かに似てしまう。。
答えを見つける教育を受けてきた弊害なのか、この「具体的だけど何でもないカタチ」を生み出すのはなかなか持って至難の技なのです。

そんな苦労を感じながらも未来ある子供たちのために何ができるか、日夜考え奮闘しています。