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教員コラム

2016.05.19 - 共生デザイン学科  やってみなはれ―「効率主義」を疑う

今回は、ゼミ活動のトピックについてというよりも、学生たちに伝えたいことを書こうと思います。教員コラム「……を疑う」シリーズの第3回目です。

たとえば旅先で列車に乗っていて窓の外を眺めている時に、いいなあと思う景色に出くわす時がよくあります(たいてい、特別なものでも何でもないごくありふれた風景なのですが)。それからカメラを取り出して写そうなどと思っていたら遅いので、あらかじめカメラを準備するようにしていますが、ずっと電源を入れっぱなしにして待つわけにもいかず、間に合わない時があるのです。

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運がよければこんな瞬間も

こんな時はしようがないときっぱり諦めるしかないのだけれど、少しタイミングが遅れるかもしれない場合に撮ろうかどうしようか逡巡しているうちに被写体は遠くに過ぎ去ってしまい、結局撮れずじまいということがあります。この時は後悔することになる(チャンスは前髪をつかめ)。また、移動中に素敵な景色に出くわしても、先を急いで撮らずじまいということがあるのですが、やっぱり撮っておけばよかったと悔やむのです。まずはシャッターを押し、その後で写真がうまく撮れたかどうか判断すればよいのだね。なんといっても、撮らないことには始まらないのだから。

さて、演習の時に学生たちの案を見ていると、前回の時の赤鉛筆や青鉛筆がそのまま残ったものを持ってくる者がいます。しかもそれが少ない数ではないようになってきた。

そのことを指摘すると、「言われたところは直しました」と悪びれるところがない。彼らにしてみれば、余計なことはしないけれど、必要なことはやりましたということでしょうね。でもこれは大きな間違い。全体を描き直すことで気づくことがあるのです。一見効率的に済ませたと思うのかもしれないけれど、実はあたらしい発見する機会を自ら放棄したというのに等しい。何より自らデザインし、これをさらによくしたいという姿勢に欠けるのが致命的です。よいアイデア、デザインは選択肢の数が大事で、たいていたくさんのスケッチの中から生まれるということを忘れている。いちばんいいアイデアは、多くの日の目を見ないアイデアの上に存在するのだから。

もう少し慣れてくると、ふたつのアイデアのどちらにしようかと悩む学生が出てきます。まず、「両方試してみたら」と言うのですが、この時も、「うーん」と唸るばかりで、いっこうに手を動かそうとしないことが多い。これも無駄を嫌ってのことのようですが、実際には非効率的なことをしているのに気づいていないのだね。アタマだけで考えようとして立ち止まるより、手を使って模型をつくって比べる方が一目瞭然、よほど早く片がつくというもの(念のために言うと、プレゼンテーションだって宿題のレポートだって何だって同じことです)。 だから、思いたったら即実行、考えるのはそれからとするのがよい。

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創始者鳥井信治郎と2代目佐治敬三の信条「やってみなはれ」

「やってみなはれ」というのは、日本のウィスキーの生みの親、鳥井信治郎のものづくりや何かを始めようとする時の姿勢を伝える言葉として有名です。先のような時に使ったというのとは少し違うけれど、心に留めておいて損はない。口を動かしてばかりで頭の中で考えているつもりになって堂々巡りするよりも、まず「やってみる」、「手を動かす」というように憶えておけばよい。

逡巡するよりも考え込むよりも、まず「やってみなはれ」、と(自戒を込めて)言いたいのです。

藤本 憲太郎(共生デザイン学科)