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教員コラム

2014.08.14 - 共生デザイン学科  シンプルに考える—「初志貫徹」を疑う

複雑になりすぎた、知的になりすぎた(つまり、考えすぎ)と感じたら、「最初の衝動」に立ち戻れ。

と言うのはロッカー佐野元春と、漫画家の浦沢直樹の二人。いずれも著名なクリエーターですが、彼らの対談を見ていたら、二人ともが口を揃えて同じように言うのでした。

彼らは表現者として長年活躍してきた経験から言っているわけだけれど、これは表現者であるか否かにかかわらず、誰にとっても重要なことだと思います。

と言ったからといって、「初心を貫こう」というのではありません。むしろ、僕が書こうとしているのは、それとは逆のことになるのかもしれません。

すなわち、最初の衝動に戻るというのは、具体的な最初の願望(たとえば、○○になりたい)の実現をめざして進めというのではなくて、○○になりたいと思った時の気持ちを大事にしようということだろうと思うのです。○○になりたいと思った時の根幹にある種を生かせば良いので、その現れ方は変わってもかまわない。

もともとの衝動の中にあった種を大切に育てるということは、ひとつのアイデアに執着するということでもないはずだし、ただ単に技術や仕掛けの洗練が目的でもない。もしそうなりかけていると感じたならば、その時は初心に戻ってあらためて自身に問い直せということなのだと考えるのです。

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研究室にあるカスティリオーニによる照明器具作品2つ

さて、つい先日まで、ゼミの学生たちは、イタリアのデザイナーのカスティリオーニ兄弟、とくにアッキレ・カスティリオーニの作品を研究していました。彼らは世の中にすでにあるかたちを別のものに転用するということをやり続けたのですが(上の写真の照明器具の左は自動車のヘッドランプと釣り竿、右はフィルムのリールの応用です)、これは一見創造的なデザイナーとは言えないやり方のように思われそうです。

しかし、カスティリオーニが生み出した作品は、他には見ることのできない、オリジナリティに溢れたものだった。新しい視点からもとのかたちが持っていた良さを再発見し、これを生かすことを教えてくれただけでなく、ともすると創造の世界においては(あるいは、私たちの生き方そのものにおいてさえも)オリジナリティをはじめから求めがちな風潮に対する、有効な批評にもなっていたと思うのです。

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学生による作品3つ

学生たちは、研究するだけではなく、学んだことを実際に生かそうと、各人がそれぞれひとつずつ作品を製作しました。上の3つは、左から順に、グラス、卵用紙パック、折り畳み傘の骨を利用したものです。たまたま照明器具ばかりを並べましたが、それ以外のものもあります。これらについては、8月3日のオープンキャンパスでの展示*、9月の展覧会開催に向けて鋭意準備中。

自分らしくあるためには、何もかも自分で新しくはじめる必要はない。最初は真似からはじめても、やがて自分らしいものになってくる。これが世の中の大勢の人々(天才たちを含む)がやってきたことだと思います。むしろ、ずっと真似のままでいる方がむづかしいかもしれませんよ。

オリジナルな自分探し、オリジナルな種探しにかまけるのをひとまずやめて、もう少し自由になって、シンプルに考えて、やりたいことに取り組んでみたらどうでしょう。オリジナリティについては、やりながら探してゆけばよい。

それが何であれ、少なくとも一定の期間は続けることが大事なのは間違いないし、やり続けるうちに分かってくることがあります。また、当然変わる部分もあるでしょう。それに、あんがい世の中は今の自分が思っていることと同じではない場合も多いのですから。大学という場は、そうしたことを実践できる貴重な場所の1つです。

佐野も浦沢も、そしてカスティリオーニ兄弟も、つまりは同じようなことを言っていたように思えてきます。

ところで、少年の頃、佐野は漫画家(手塚治虫)に憧れ、浦沢はロック・ミュージシャン(ボブ・ディラン)を夢見ていたそうです。

*本稿が掲載される頃にはもう終わってしまっているので、予告編とともにその時の様子は以下のHPに載せる予定です。どうぞご覧ください
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~fujimoto/nicespaces.html

藤本 憲太郎(共生デザイン学科)