MENU

教員コラム

2020.11.26 - 共生デザイン学科  Streetの可能性

2020年。今年はコロナウイルス感染拡大という大きな出来事があった(まだ続いていますが)、大変な一年でしたね。確かにウイルス蔓延も、世界を震撼させる大事件ですが、もう一方で、今年の出来事で印象的なのは、市民がstreet(多くの場合、大都市の大通り)に出て、自らの主張をするような抗議運動・デモが多いという点です。

その一つに、米ミネソタ州ミネアポリスで5月25日、黒人男性のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官から首を圧迫されて亡くなった事件をきっかけに、「BLACK LIVES MATTER(“黒人の命は大切だ”の意味)」というスローガンを掲げ人種差別撤廃を主張したデモが全米で展開されたのは、皆さんも記憶に新しいでしょう。

他にも香港の民主化運動(中国による統治に反対し、民主主義を守ろうという趣旨のデモ)やタイ・バンコクでの民主化運動(軍事政権やタイ王政への批判)なども、このコロナ禍にもかかわらず、大きな展開を見せました。

こうした政治的主張をするデモの他に、ストリート・ダンスやストリート・バスケット、またストリート・アートとしてバンクシーやバスキア、キース・ヘリングなどの現代美術を代表する作家が、ストリとを舞台に自らの作品を都市空間の中に表現してきたことも、やはりストリートの現象と言えます。

STREET ART MAP https://sniffingeurope.com/street-art-map/

さて、なぜ人はストリートに出て、遊び、交わり、表現し、そして時に、自らの主張を声高に叫ぶのでしょうか? その答えを探るには、ストリートに集う人々が決して社会の中で優遇されておらず、自らの表現の場を用意された人々ではないことがヒントになるでしょう。 Streetという、開かれ・互いに交わることのできる空間であるからこそ、社会における自分たちの表現や主張、社交をする場を与えられない人々は、ストリートを舞台に自らを表現し、主張し、遊び興じる空間としているのです。

その意味ではストリートとは、一見すると整えられた社会のなかで、閉じ込められた声が吹き出す“現代の裂け目”と言えるでしょう。