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教員コラム

2017.09.09 - コミュニケーション学科  身近な気づき

コミュニケーション学科はE2号館という建物に各種設備があるのですが、この建物は窓から東西方向が見えるようになっています。西方向を見ると、写真のように近くの街や山並みが見えます。
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山並みの向こうに富士山が写っていますが、わかるでしょうか。富士山のあたりを拡大してみます。image003

この富士山と手前の山並みが重なる右端あたりに見える稜線に、天然の地形としては不自然な切れ込みが見えます。これはいったい何でしょうか。

実は、これは鎌倉時代につくられた道に伴う土木工事の跡で、朝比奈切通しと呼ばれるものです。こちらに現地の写真があります。

これとは全く別件のように見えることですが、上記とつながっているものが最寄りの駅前にあります。
関東学院大学に通う学生は、京浜急行電鉄の金沢八景駅を利用することが多いです。金沢八景の駅を出ると、正面に国道16号線が通っていますが、歩行者は直接国道に出ずに右方向に行く道路を使うように推奨されています。

国土地理院の地図から引用すると、以下の図の青線になります。Googleストリートビューでみると、こういう感じです。ですが、この道路は歩行者用道路としては少し変です。

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まず、国道にアクセスする歩行者用道路にしては、不自然に曲がっています。また、歩行者専用道路というわけではなく、自動車も入れ、道幅もそこそこあります。

実は、この道は、鎌倉時代からある六浦道と呼ばれる街道の跡です。現在は国道16号線へのアクセス道のように見えていますが、もともとはこちらが本道であったわけです。上の地図では、街道を北に進むと神社に続いているのがわかります。実際には、現在はこの辺りは再開発されており、道路が一部寸断されて地図とは異なっていますが、もともとは神社へとつながっていました。

これは、瀬戸神社という神社です。瀬の戸、つまり海への入り口というわけです。鎌倉時代には、ここから道が出ていて、山越えをして鎌倉に物資を運ぶために使われていました。

関東学院大学のあるあたりは、まっすぐに西に行くと鎌倉になるという便利な立地条件下にあり、その関係で、鎌倉時代には鎌倉への外港として使われていました。港から鎌倉へと物資を運ぶ道が六浦道だったのです。この街道は、その後、山方向に進みますが、山越えをするところを一部切り崩して通りやすくしたものが、上述の朝比奈切通しです。現在の切通しは江戸時代に掘り下げられており、鎌倉時代にはもっと浅かったようですが、場所自体は変わっていません。

そういうわけで、関東学院大学の学生は、鎌倉時代から多くの人が通ってきた道を毎日踏みしめて通学しているわけです。ちょっとぜいたくな気分になりませんか。

駅前の道や、窓から見える何気ない景色にも、様々なことに気がつき、そこから歴史や様々なことを学ぶことができます。ただ、そのためには、多様な知識が必要となります。

コミュニケーション学科では、多様な講義が用意されており、様々な知識を幅広く身につけることができます。そうして得た知識を活用して身の回りを見渡し、新たな発見をするのも楽しいのではないでしょうか。

石井 充(コミュニケーション学科)