デザインはひとつながり
「デザインはひとつながり」―これはこの春、共生デザイン学科の1年生になった学生達に向けたオリエンテーションで、私からお話しした言葉です。
共生デザイン学科ではいろいろなデザインを学ぶことができます。
これは確かに学科の特徴で、まだ何を将来やりたいか、方向性の決まっていない新入生にとっては、色々なメニューが用意されたファミリーレストランのような存在に写っているかもしれません。実際、共生デザイン学科に入ってくる学生さん達は、まだ将来の方向性が決まっておらず、色々なデザインを学ぶことを通じて、大学生活の中で発見していきたいという希望を持って、入学して来られる方が多いのは事実です。
共生デザイン学科ではそうした新入生達に、色々なデザインの面白さを紹介するための、共生デザイン入門という授業も用意されています。これは1年生の春学期に、共生デザイン学科のすべての教員が1回ずつ担当して、それぞれの専門分野のデザインの魅力を伝える授業で、この授業を受けることで、学科にどんな先生がいて、どんなことを専門に教育・研究しているのかがわかります。

デザイン学科のパンフレットには12名の専任教員が並んでいます。それぞれの専門分野のデザインを教えていますが、共生デザイン学科ではこの他、多彩な非常勤講師の先生方による授業も受けられ、本当に色々なデザインについて幅広く学ぶことができます。
ここで改めて、私からのメッセージ「デザインはひとつながり」について、お話ししたいと思います。

写真は、私が担当している「コミュニティデザイン演習」の授業履修者達と撮ったものです。この授業は毎年、春学期に行っていますが、最終成果として、夏のオープンキャンパスでカフェを運営します。つまり、授業の内容としては、オープンキャンパスに来てくれる高校生や保護者の方達に楽しんでいただくことができるカフェを計画し、実際に運営することができる力をつけて、それを実際に行うための色々なことを教えています。写真では全員、デニムのエプロンを身につけています。これはカフェのコスチュームを考え、カフェのテーマに合ったコスチュームを決めて全員で当日着ているものです。また、何人かの学生は、手に花を持っています。これも空間演出として、飾っていたものです。クッションを抱えている学生もいます。ピンクとオレンジがあります。これもインテリアを構成する要素として学生達が選びました。空間全体は白い布でできています。カフェのテーマは毎年変わるのですが、この年は「夜のピクニック」というのがテーマで、部屋を暗くして、キャンドルや小さな照明を配置し、布でできたティピーと呼ばれるテントや低めのテーブルと椅子でリラックスした雰囲気のインテリアをデザインしてくれました。

この写真は別の年の同じ授業履修者達と撮ったもので、この年は「和カフェ」がテーマでした。全員が浴衣を着てお客様の対応をし、カフェの入り口には写真のような大きな暖簾をデザインして演出しました。
この授業で教えていることは以下のようなことです。

空間のインテリアデザイン、カフェのメニュー構成(試作、試食を繰り返して決めていきます)、カフェのロゴマークデザイン、カフェのポスターやパンフレットのデザイン、お客様へのサービス応答の方法を決めて練習するなど、上に列記している全てがそこに含まれます。
この「コミュニティデザイン演習」では、授業の2回目にレポートを発表してもらいます。それは、「あなたの好きなカフェ」というもので、自分が好きなカフェを写真を見せながら説明し、そのカフェのどこが気に入っているかを発表してもらうというものです。この発表を聞いてわかるのは、カフェの食べ物や飲み物が好きという人だけでなく、カフェの雰囲気やインテリア、照明、そこに置いてある小物や店員のサービス、そこに流れる時間や音楽など、本当に色々なことが挙がってきます。
これはどういうことかというと、「カフェにはデザインの全てがある」ということです。
そしてその全てについて、お客さんとして行く学生達は、とても鋭い観察の目を向け、そのカフェがいいなということを、感性を総動員して感じ取っているということです。
ここでは、カフェはわかりやすい事例として挙げているのですが、このようにどんなデザインでも、それ単独で成立するというものは少なく、色々なデザイン要素が複合して構成されています。つまり、デザインするということは、これら全てのデザインについての知識が必要で、色々なデザイナーとのコラボレーション(共同作業)も必要になってくるということです。
これが、私の考える「デザインはひとつながり」ということです。
デザインを勉強する上で、得意分野を探すのはその第一歩かもしれません。しかし、「共生デザイン学科」で学んで欲しいことはそれだけではありません。さまざまなデザインをどうつなぎ、組み合わせていくのかを考え、実際の社会のためにプロジェクトや作品を作っていく力を身につけていただきたいのです。
最後に、共生デザイン学科を卒業する学生達は、本当に様々な幅広いデザインの仕事についていきます。卒業生の分野が幅広いのもとても面白く、仲の良い友人達と、将来一緒に仕事したり、デザインについて語り合ったりすることができるのです。
「デザインはひとつながり」のもう一つの読み方は、「デザインは・人・繋がり」です。デザインはいろいろな人を繋ぐ力があり、またデザインそのものもいろいろな人の繋がりによって作られるものです。「共生デザイン学科」の共生という言葉の意味は、そうした広いつながりをデザインで作っていくことができるという可能性を表しています。
海辺がどうパブリックスペースになるのか

夏の海は、海の家が出たりして、
商業空間的になるのが、私はちょっと苦手です。
賑わっていいじゃないかという方も多いことは承知していますが、
私は閑散としているオフシーズンの海の方が、断然、好きです。
人が少なくて、ちょっと寂れた感じの海の方が、
パブリックスペースを堪能できるからだという気がします。
海辺は究極のパブリックスペースになり得る空間だと、
ある意味では強く思い込んでいるからでもあります。
高校まで広島で育った私は、大学に入って東京に出てきたとき、
鎌倉は由比ヶ浜の海でボーッと過ごしていたことがありました。
それは自分にとっては、大事な時間だったと思います。
田舎から出てきて、あまりに急激な環境の変化と
情報の多さに目まぐるしさを覚えた時に、
自分を空白にする
そういう事を、無意識でか、意識的にか、
自分はやっていた。
その時、わりと近くに海があってくれて、本当に良かったと思います。
海辺はいろいろな人を受け入れて、
ただそこにいさせてくれる。
一人のためのパブリックスペースとしては、
最高の場所です。
さて、
普段ならあまり寄り付かない、夏の海水浴客などで賑わう三浦海岸で、
今年、ちょっと特別なベンチをつくりました。経緯はこんなかたちです。
この夏、三浦海岸で、海水浴場の運営期間の約2ヶ月間、
三浦海岸アートフェスティバルというイベントが行われました。
コロナ禍のなかで、それまで三浦海岸で海の家を運営していた組合が撤退し、海水浴場の賑わいがなくなりました。三浦市が観光協会と連携して海水浴場を運営することになったのですが、新しい体制で海の家を営業する許可が、今のところ神奈川県土木からおりないそうです。海の家は、昔からそこで営業しているという既得権的な性格で営業許可が下りているという側面が強く、一旦、その組織が解体してしまうと、新しい組織が同じ許可を得るのは困難なのだそうです。
そこで、三浦海岸アートフェスティバルという新しいイベントを興して、これまでとは違う夏の海水浴場を作ろうという試みが行われました。
ミッションは、海の家が出せず、あまり商業的な活動ができない海岸を、
どうやって素敵な場所にし、多くの人が三浦海岸をこれまで以上に楽しめるようにするかです。海の家で飲食などができない代わりに、海岸周辺の店に人が流れ、
小さなレストランや商店が賑わえばという、三浦海岸駅周辺のまちを活性化しようとする試みでもあります。
お声がけいただいて、そこに長さ60メートルの「IKADA(筏ベンチ)」という作品を設置しました。

このベンチの特徴は、三浦海岸の隣の金田漁港で使われている生簀用の材木の廃材を再利用していることです。ステンレスのバンドで束ね、海岸の砂を詰めた土嚢に乗せているだけのシンプルなデザイン。海岸に流れ着いた流木のように、自然に帰りつつある素材の魅力をそのままベンチとしています。筏は束ねる木材の数や長さに左右されず、自由に組み上げることができます。1段積むと砂浜に近い地べた座りのような座り方ができ、2段積むと通常の椅子の高さになって、より座りやすい。長く束ねることで安定性が生まれ、転倒などの危険も減ります。雨風にさらされた杉の古材は適度に表面が柔らかく、水着で直接腰掛けても座り心地が良い。熱い砂浜に座らなくて良いのは助かると、多くの人々から好評をいただきました。
木材への加工を全くしないため、アートフェスティバル終了後はバラして、また元の木材に戻し、お貸しいただいた方にお返ししました。
三浦海岸のスケールに相応しい、大きなスケールを持つベンチとして、できれば今後も続けていきたい活動です。
最後に、学生時代の話に戻りたいと思います。
大学院の頃、友人たちと一緒にResponsive Environmentというメディアアートのユニットを結成し、活動を行っていました。
鹿島出版会が今でも主催している、「SD Review」という歴史ある展覧会に「ダンスパフォーマンスのための舞台装置」という作品を選んでいただき、展示したときに、審査員のお一人からいただいた、とても辛口な、むしろ否定的なコメントがありました。

補足しますと、この展示は、実際に海岸でダンスパフォーマンスを行なった映像をビデオプロジェクターでスクリーンに写し、スクリーンを背景として、たくさんの柱で台から宙に浮かせたような装置の模型に重ねて見せる物です。ちょうど観客と同じ目線になるように模型の高さを設定して、ヘッドフォンで音楽を聴きながら映像を見ることでパフォーマンスを想像してもらうようなインスタレーションを展示スペース内に作りました。「SD Review」は展覧会終了後に建築雑誌「SD」で特集され、そこに審査員のコメントが載ります。そこで我々は初めて、各審査員からの講評を受け取るわけです。
最悪のコメントをくださったのは、その後日本を代表する世界的な建築家となられた妹島和世さんでした。そのコメントが未だに強く心に残っています。それは以下のような短いコメントでした。
「会場で椅子に座ってヘッドフォンをして映像を見ると、その世界に入っていってなかなかいいなと思ったが、時間がたつにつれ、作られた装置は本当に必要だったのだろうかという疑問がわいてきた。もしかしたら椅子ひとつでも良いのではないかという思いがした。(妹島)」
要するに、作品を全否定しています。。。
その後、いろいろな形で妹島さんとお会いする機会もあり、色々とお世話になったりもしていて、大変尊敬する建築家の先輩からいただいた、このコメント。
結局、ご本人から直接、もっと詳しい感想を聞く機会が無いまま、(というより、全ては書いてある通りなんだろうなと受け止めたからでもありますが)、心に引っかかっています。
今、思えば、
このコメントが、ずっと心に引っかかり続け、
むしろ引っかかり続けてくれたおかげで、
その後の私の制作活動に大きく影響したのだと思います。
その場に応じた、できるだけ素に近いものをさりげなくつくる。
建築を設計する際にも、物をつくる際にも、
常に、「本当に必要だったのだろうか」という他者の眼差しをどこかに意識し、
本当に必要な物をつくる。
こうした意識を持ちながら、日々の制作を続けています。

今回、制作の前にロケハンをしていて、初夏の三浦海岸を歩いていたとき、
海岸の流木に目が止まりました。
おそらく、サーファーか、いつもそこを散歩している人が、
海を眺めながら一休みできるように、
ちょうどいい位置と角度に少しだけ動かして置いてある流木。
これが海辺には一番ふさわしい什器なんだなと思いました。
「IKADA(筏ベンチ)」で、サーファーの流木にも似た、なんの変哲もない、
ベンチができました。
海辺で設置作業をしていると、60メートルもあるので、少し離れたところでは、
作品制作中だということが伝わらないのか、
あるいはただ単に、夏の海岸には、
誰も制作者のことなど気にしない勝手にしやがれのムードがあるからのか、
材木を並べて置くはじから、
どんどん人が座り始めて、設置作業が難しいという状況すらあるほど、
とても沢山の方に座っていただきました。
「ああ、ここにはこれが必要だったのね。」
こんななんの変哲もない流木のようなベンチができたことが嬉しくて、
この夏は、何度も人でごった返す
三浦海岸の海水浴場に通いました。
特に、ちょっとだけベンチのメンテナンスをしたあと、
少し閑散としてきた夕刻の海辺で、
暮れなずむ海の中に入り、クールダウンするひと時が、
ジーンと心に残る、最高の思い出になりました。
「縮小の世代」の君たちへ
今、大学生や高校生の君たちは、人口減少が始まった2005年以降に生まれ、そして、恐らく、 君たちのうちの多くの人は22世紀を迎えることができるのです。そんな皆さんのことを、 私は「縮小の世代」と呼んでいます。

理由は上の画像の通りです。 グラフは日本の総人口を表しています。赤い線は、皆さんがおそらく生きるであろう年代をプロットしています。見ての通り、これまでの日本の歴史で、皆さんの体験するような急激で長期的に続く人口減少を体験した人はいません。これだけで、皆さんがいかに特別な世代かがわかると思います。
このままいけば君たちが90歳から95歳くらいになる2100年に日本の人口は、君たちが生まれたピーク時の1/3になります。
その時日本は、どんな社会になっているでしょうか? 想像できますか?
私は大学で「コミュニティデザイン論」という授業をしています。その中で、皆さんがこれから生きていく「縮小社会」について一緒に考えています。 一緒に考えているという表現をしましたが、答えがないので、私も教えるというより、皆さんと一緒に考える、その上でのサポートをしているという立場だからです。
この授業では皆さんに「縮小社会を楽しく生きるためのライフデザイン」というテーマで、逆境に見える社会的バックグラウンドを、むしろ逆手にとって楽しめるようなアイデアを出してもらうようにしています。
例えば、二地域居住や、多拠点生活という言葉を聞いたことはありますか?昔でいう別荘の生活に近いかもしれませんが、もう少し、地域のコミュニティとのお付き合いを大切にして、環境だけでなく仲間をいろいろな場所でつくることに楽しみを見出している人が増えています。私自身も神奈川と山梨の二地域居住をしています。空き家が増える「縮小社会」では、家を手に入れやすくなるため、こうした生活は、恐らくスタンダードになる気がします。そういえば昔は長期ローンを組んで、家が一生の買い物なんて時代もあったらしいね、という感じになるかもしれません。
地方の古民家などをリノベーションする空き家再生。別の授業やゼミナールで、私はDIYの実習をしています。自分たちの力でちょっとした改修工事くらいできる力も、これからは、基本的なサバイバル技術のひとつとして 重要になると考えて教えています。
さらに、住む場所だけではなく、職業についてもいろいろな変化がある気がします。例えば、幾つもの仕事を持つ「複業」という生き方も、恐らくスタンダードになるとみています。 私自身は、大学で教えながら建築の設計も行い、自宅ではカフェも開いています。最近は二地域居住している山梨でお茶作りもしています。好きなことを続けて行った結果、自然に「複業」になっていました。授業では、皆さんにどのような「複業」を自分がやってみたいか考えていただき、自分の人生の設計図のようなものを描いていただいています。
「縮小社会」という言葉を聞いたり、自分たちが「縮小の世代」なんだと聞くと、多くの人は、はじめ、損したような気分になるそうです。
しかし、共生のデザインを学ぶ学生は、逆転の発想が得意です。普通よくないと考えられるようなコンディションでも、そこにデザインの視点が加わることで、なんとか解決していく力。「縮小社会」を「縮小の世代」である皆さんたちが力を合わせて考え、議論することで、かえって、これまでより良い社会にしていくことが、きっとできます。
自転車でピクニック−「チャリピク」プロジェクト②ガイド養成講座 ランディングを目指して
このコラムは、前回書いた三浦市の「チャリピク」プロジェクトの続き②です。
2022年度は「チャリピク」という仕組みと道具立てを作りました。
続く2023年度は、「チャリピク」を着地(ランディング)させるための地域活動です。
デザインやアイデアは地域を深く観察することから生まれますが、ある意味でフワリと湧いてくる雲のような存在です。アイデアが生まれた時点では、それが地域に根付くとは限りません。それを実際の地域活動にまで成長させ、地域に根付かせることを、ここでは着地(ランディング)と呼んでいます。
皆さんは「着地型(ちゃくちがた)観光」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
対になる用語として「発地型(はっちがた)観光」という言葉があります。発地型観光は観光の主な利用者が居住している大都市圏の旅行会社などが企画を立て実施するのに対し、着地型観光は訪れる地域のスタッフが企画し、運営するものです。地域住民だからこそ発信できるレアな体験を提供したり、観光による収入や雇用が地域に直接還元されるなどの効果から、近年注目を集めている、比較的新しいツーリズムの形態です。
言葉のあやのようではありますが、今回は、着地型観光を実現するために、プロジェクトを着地(ランディング)させようとする試みについて書きます。
ここで重要なこととして、「チャリピク」を着地(ランディング)させるためには、
地域住民が主体になって企画立案し、運営していく仕組みづくり
がどうしても必要だということです。
これは、なかなか簡単なことではありません。なぜなら、アイデアを出すのは我々大学のゼミナールですが、そのアイデアを地域住民に理解してもらい、面白いと思ってもらい、実際に自分たちだけで運営できるようになってもらう必要があるからです。
それには、どうすれば良いでしょうか?
今回、三浦市民交流センター、通称「ニナイテ」の協力を受け、私が講師になって、全5回のチャリピクガイド養成講座を行いました。

半日程度のプログラムで、毎回、実際にチャリピク号でピクニックをしながら実地で学んでいただき、どうすれば楽しいガイドツアーを作り上げることができるかを一緒に考えていくという内容の講座です。すぐに定員の8名の申し込みがあり、地元参加者が集まってくださいました。

講座の最初です。まずはチャリピクの説明から。まだ皆さん固い様子

安全講座の後は早速自転車でピクニックに出かけます。三浦の綺麗な景色を見ながら。自転車をこいでいると自然と気持ちがほぐれます。


三浦海岸に出ました。目的のピクニックポイントまで後少しです。

ここからは自転車を降りて浜まで歩きます。

浜に到着。

ピクニックポイントについたらシートを広げ、いよいよピクニックセットの使い方を実習。

三浦産のハチミツと途中のミカン園で買ったミカンでホットサンドを作ってみることにしました。この辺りは、臨機応変に楽しみましょう。


ピクニックは、一緒に作業することであっという間に皆さん仲良くなります。

学生から社会人まで、広い年齢層が一緒に。
ピクニックのある風景。

最初の固かった雰囲気がこんなに打ち解けました。チャリピクの力は凄いですね。


ピクニックが終わると、部屋に戻って振り返り。次の講座の計画を立てます。
こんなガイド養成講座を、全5回行いました。
先に書いた、
地域住民が主体になって企画立案し、運営していく仕組みづくり
が今回できたのか、ということですが、5回の講座を終了して、ガイドさん達同士もとても仲良くなり、すでに3月に申し込みのあったツアーの準備をしてくれています。当日、たまたま私が予定があったので参加できないのですが、ガイドさん達だけで実施してくれるそうです。
プロジェクトはうまく進んでいるのではないかと思います。講座を終了して、参加者には「チャリピクガイド認定証」が渡されます。
こうして、三浦に初の「チャリピクガイド」さんが8人、誕生しました!
この事業は令和5年度観光庁「インバウンドの地方誘客や消費拡大に向けた観光コンテンツ造成支援事業」の助成を受けて実施したものです。
自転車でピクニック−「チャリピク」プロジェクト
皆さんは、三浦市に行ったことはあるでしょうか?
三崎という港町があり、マグロ料理などで有名です。マグロ以外にも、自然の魅力がいっぱいで、大学から三崎口駅までは京急線で40分程度と行きやすく、お勧めしたいエリアです。
日髙ゼミナールでは、この三浦市で、「チャリピク」というプロジェクトを行なっています。
コロナ禍で、密集を避けるため、アウトドアに注目が集まりました。「チャリピク」は、三浦市で普及しているレンタサイクルに、ピクニックセットを積み込んで走り、三浦の魅力的な場所でピクニックをするという企画です。ゼミナール全員で取り組み、去年は春のゼミナール合宿を三浦市で行い、サイクリングしながらチャリピクについて話し合いました。
卒業制作でも取り組み、写真のようなチャリピク号が完成しました。

実際に三浦市で走っている赤い電動アシストのレンタサイクルを改造し、学生たちとデザインしたものです。DIYの雰囲気を出すために、ほとんどのパーツに木を使っています。前の箱には自分の荷物を入れ、後ろの箱はピクニックセットになっています。

ピクニックセットは上の写真のように、開くとテーブルとアルコールストーブ付きの調理セットになります。お湯を沸かしてコーヒーやカフェオレ、三浦でとれたハーブティーなどを楽しむことができます。また、ホットサンドやご飯なども作れるので、簡単なランチもできます。

写真は三浦のfish standというお店オリジナルのマグロのコンフィをはさんだホットサンドを作っているところです。

写真は諸磯浜灯台という海岸です。富士山を眺めながら、こんなところでピクニックをしてみたいと思いませんか?
「チャリピク」は一般公募したモニターの人々に体験していただくツアーを実施し、とても好評でした。今後は、こうしたツアーをたくさん行い、もっと色々な人に、三浦の魅力、「チャリピク」の魅力を知っていただきたいと考えています。
空間デザインとコミュニティデザイン④:瀬戸内海の「しまなみ海上列車」プロジェクト(その②)


「しまなみ海上列車」は、離島をはじめとする瀬戸内エリアの港湾を有効活用し、地域に生活必需サービスや賑わいを創出するための仕組みとして提案しました。
しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市とを結ぶ本四連絡橋の一つです。2009年に開通10周年を迎え、愛媛県今治市主催でイメージアップのための企画案公募のコンペティション「しまなみ海道10thアニバーサリー企画提案公募」が行われました。
(審査委員長:伊藤豊雄、審査員:北川フラム、ひびのこづえ、グエナエル・ニコラ、今治市長)。
しまなみ海道のイメージアップというテーマに対し、我々は、ある意味で他案とは全く逆のアプローチをとりました。例えば、しまなみ海道を今治市特産のタオルと関連させて装飾するなど、ほとんどの案は、しまなみ海道を肯定的にとらえるところからスタートしていました。
一方で我々の提案は、しまなみ海道という高速道路によって、豊かな多島海の景色を楽しむことなく島々をただ自動車で通過してしまっている現状に異を唱えるものでした。
嘗て集落の中心であった港の再生がテーマです。
現在はモータリゼーションによってすたれ、廃港も目立つ港。この港を中心とした活動を充実させ、減便が相次ぐ水上交通を見直すことで、集落の中心に活気を取り戻し、水辺の環境を身近に体験できる仕組みを提案しています。台船などを連結させてタグボートで引き、様々な生活必需サービスを積んで、島々を訪れ、港で展開して人々に生活の潤いを与える仕組み、「しまなみ海上列車」。この「しまなみ海上列車」と、しまなみ海道というスーパー陸上交通とを複合させることで、より多くの選択肢を交通と生活利便性、環境や地域経済の面から拡張しようとする提案として高い評価をいただき、最優秀賞を受賞することができました。
画像2枚はコンペに応募した際のパネルです。
船舶は、すでにかなり自動運転化が進んでいる乗り物です。航空機同様に、オートパイロット機能が発達しており、GPS情報などを元に、定められた航路を、潮流や風波などを補正しながら進むことができます。この特徴を利用して、少ない乗組員で、複数の島々を移動するトレイン型に連結された船団である「しまなみ海上列車」は、瀬戸内の穏やかな風景に似合いそうです。
リサーチに当たっては、離島などを巡り、そこで実際に進んでいる過疎の状況を目の当たりにしました。店は無くなり、公共施設は閉鎖され、病院などの医療も十分ではありません。そんな島々に、週に1度でもこうした移動巡回型のサービスが訪れることで、まちがずっと住みやすいものになれば、そんな願いからの提案です。「しまなみ海上列車」が運んできて、港に展開するのは、診療所や健康診断、図書館や海上ギャラリーなどの文化プログラム、役場などの出張サービスや海上カフェ、海上マーケットなど、アイデア次第で様々な可能性があります。
アイデアコンペなので、最優秀賞を受賞したからといって、実現されるとは限りません。
しかし、せっかく頂いた評価とチャンスなので、いただいた賞金などを使って、その後も島を訪れ、地元の人々と交流しながら幾つものワークショップを、12年が経とうとしている現在でも、繰り返しています。この間、船舶はさらに減便が進み、離島の過疎化はさらに進行しています。
たまたま友人が移住したことがきっかけで、継続してワークショップを行っている愛媛県の離島、上島町弓削島で、このコンペティションをきっかけに、いくつかのプロジェクトが進行し、実現することになりました。次回のコラムでは、これらのプロジェクトについてご紹介したいと思います。
空間デザインとコミュニティデザイン③:瀬戸内海の「しまなみ海上列車」プロジェクト(その①)
私は広島の出身です。
瀬戸内の多島海風景の美しさに気付いたのは故郷を離れ、東京で暮らし始めてからでした。高校までを過ごした実家は広島市内の小高い山の上に建ち、家からは毎日、多島海の風景を眺めて育ったのですが、その頃は、それが当たり前だと思っていたのか、あまり強い愛着を持っていなかったように思います。しかし、今では、瀬戸内地域は日本では最も美しい場所であり、世界的にみてもトップクラスの素晴らしい環境だと考えるようになりました。

気候が温暖で雨は比較的少なく、いつも穏やかな海。一時は、瀬戸内工業地帯が形成され、工場排水などによって汚染されたこともありましたが、工場の移転や下水道の普及率が高まったことにより、今では瀬戸内海の透明度は大変高くなりました。海の幸にも恵まれ、どんな小さな島に行っても、美味しい魚料理を食べることができます。農業も盛んで、温暖な気候を生かして、柑橘類などの果物の宝庫です。また、まちなみも美しく、古い港町に残存する古民家は焼き杉と漆喰、黒瓦からなる素朴で美しい建築です。人々もゆったりと暮らしていて、訪れる我々も、自然にそこに広がる風景と同じ穏やかな気持ちになっていきます。こうした瀬戸内の魅力を一言でいえば、「何にもないけど素晴らしい」というものです。
広島は原爆記念公園や厳島神社があることで、多くの外国人旅行者が訪れます。しかし、これらの観光名所だけ訪れたのでは瀬戸内海の風土的な魅力を感じるには十分でないかもしれません。
恐らく、瀬戸内海の魅力が外国人に知れ渡った大きなきっかけは2010年から行われるようになった「瀬戸内国際芸術祭」というイベントではないかと思います。3年に一度開催されるトリエンナーレ形式で、今年2019年には第4回目のイベントが開催される予定となっています。イベントの会場は岡山県と香川県の間に広がる備讃瀬戸の島々で、このイベントが行われるまで、直島や豊島、犬島、男木島、女木島といったイベントの主要会場となっている島々にわざわざ行く人は殆どありませんでした。これらの「何にもない瀬戸内の島々」を、アートフェスティバルという仕掛けは、巧妙に、何にもないことの魅力も含めてアピールし、単なる観光地ではない、瀬戸内の日常的な魅力も体験することができる場を提供しています。海外に住む私の友人達にもこのイベントは人気で、何度も訪れるリピーターが多いのも特徴です。

私がこの瀬戸内でプロジェクトを始めるようになったきっかけは、2009年に今治市主催で行われた「しまなみ海道10thアニバーサリー企画提案公募」における応募案が最優秀賞を受賞したことでした。まだ第1回「瀬戸内国際芸術祭」が行われる前のことでした。「瀬戸内国際芸術祭」で総合ディレクターを務める北川フラムさんも審査委員のお一人でした。きっと翌年行われることになっていた芸術祭の仕込みに忙しい合間を縫って審査して下さったことと思います。審査委員長は建築家の伊東豊雄さんでした。伊東さんはその後、しまなみ海道が通過する島のひとつ、大三島に伊東豊雄ミュージアムをつくり、伊東建築塾の活動などを通じて地域に強いかかわりを持って活動されています。
我々が参加した「しまなみ海道10thアニバーサリー企画提案公募」というコンペはおかしなコンペでした。というのも、しまなみ海道は、地域をあまりにも大きく変えてしまい、その変化は必ずしも良いものばかりとは言えない状況だったからです。確かに10周年ではあるけれども、それを単純にお祝いすべきとは思えないというのが、コンペに参加したときの私と、共同提案者の西澤高男さん(東北芸術工科大学デザイン工学部:建築・環境デザイン学科准教授)の共通した見解でした。
瀬戸内海の島嶼部であるしまなみ海道エリアに共通した課題としては、高齢化・生産年齢人口の流出を背景とした過疎化が挙げられます。1999年に開通したしまなみ海道によって、生活は一見、便利になったように見えますが、一方で、本州や四国と陸続きになったことによるストロー効果によって、人口流出が加速していることも指摘されます。ストロー効果というのは、まるでストローで吸い取られるように、しまなみ海道によって人口が島から周辺の都市部へと流出してしまう現象を表します。高速道路だけでなく、鉄道や新幹線などの大きな交通網が整備されたときにも見られる社会現象です。不便な島の暮らしをよくするために、島民はしまなみ海道の開通を願いました。やっとしまなみ海道ができると、陸続きになった今治や松山、尾道、三原や広島などの都市部に車で出かける機会が増えます。買い物に通っているうちはまだいいかもしれませんが、職場が移転したり、家族が病院に入院したり、子供が高校や大学に通ったりというきっかけ等によって、都市部に引っ越してしまう人が後を絶たないようです。せっかく島の暮らしが良くなると思って高速道路を作ったのに、何だか矛盾しているような現象だと言えます。

こうした変化と合わせて、何よりも大きいのが、歴史ある港を中心としたまちなみの変化でした。自動車交通にとってかわられた船舶交通の衰退は甚だしく、船の減便、廃止がとめどなく続き、結果として、廃港になった港が多くみられます。多くの街は港を中心に発達してきた歴史がありますが、その中心にあるべき港が空洞化し、むしろまちの裏側を走っていた道路を中心としたロードサイドの街が発達したため、まちの表と裏が入れ替わる「裏返り」の現象が随所にみられるのです。港の空洞化。これも、しまなみ海道沿いの街の共通した課題です。


縮小社会に突入した日本は、至るところで人口が減少しており、島嶼部の過疎化を止めることは、余程のことが無い限り難しいと考えられます。しまなみ海道沿いの島々でも人口減少は進んでいますが、周辺の離島では、過疎化はさらに深刻です。離島の中には人口数十人という島もあり、そうした島では病院や郵便局などはもとより、商店なども撤退し、日々の暮らしが困難になるという状況があります。それらの島々は現在、船便に依存し、台風などで海路が使えない場合は物資が不足します。また、緊急時にはヘリコプターを利用した救急活動なども行われています。こうした生活利便性の極端な低さが、島の人口減少に拍車をかける、負の連鎖が生じているという状況です。
空間デザインとコミュニティデザイン②:出雲大社神門通りの空き家再生プロジェクト

使われなくなって空き家を再生する、いわゆる空き家再生プロジェクトを、全国様々なところから呼んでいただき、建築家としてお手伝いしています。
その最初の試みは2010年、出雲大社参道の2軒並んだ町家の再生でした。City Switchという日豪交流のワークショップの講師として参加し、参加者の学生6名と、5日間の作業を現地で行いました。出雲大社は、言うまでもなく多くの参拝客を年間通じて集める、出雲市のまちづくりにおいて重要な名所ですが、近年、バスの駐車場が神社のすぐそばに整備されたため、それまで鉄道などを利用する人が行き交っていた神門通りという、黒松の並木も美しい、古い門前の街並みがすっかり寂れてしまっていました。2軒の町家はこのような門前のシャッター通りのような街並みにひっそりと建ち並んでいました。この地域の町家は、火災などが起きると延焼を防ぐために解体してしまうことも考慮して建てられたと言われ、簡素な造りでしたが、大正期に建てられた建物は、それでも木造の軸組が美しく、簡素さが醸し出すシンプルな爽やかさを感じる、素敵な建物でした。ここ30年間、空き家になっていたということでしたが、適切に管理されていたらしく、コンディションの良い空き家でした。
ワークショップはいつも、街の雰囲気や、風土、街並みを学ぶために、まず、自転車である程度広いエリアを周り、いくつかの店で食事などしながら、その土地の感触を身体で感じることから始めます。オーストラリアからの参加者も、国内の学生も、見知らぬ土地を体験し、次第に打ち解ける大事なひと時です。
その後、建物を片付け、掃除しながら観察し、そこを限られた時間で、どのように再生するべきかを全員で議論しました。2009年の当時は、まだ空き家問題が深刻な社会問題化する前であり、空き家再生というテーマ設定をした議論は、私としても初めてのことでした。なぜその建物が、空き家になってしまい、そのまま長い間放置されて来たのかを考え、そこがどのよう再生するのが出雲のまちやオーナーのために良いのかを全員で考えました。

(左奥:木塀が立てられた閉鎖的な民家、右手前:元店舗の町家)

結果として我々が行った空き家再生は、次のようなものでした。まず、2軒とも連続する形で、外観を変化させ、空き家が賑やかに再生した様子を街の人々にイメージしてもらえるように、短冊状の暖簾をつくって軒先に吊るし、夜はその暖簾を照明で照らしました(冒頭の写真)。
また、1軒はもともとお店だった建物で、中に家具などがなく、比較的ガランとした建物でした。ここでは、学生たちが街で集めた見どころ情報などを展示し、インフォメーションセンターとしました。ここでは、学生達が浴衣を着て、おもてなしの気持ちをもって、自分たちで集めたまちのみどころ情報などを観光客などに直接伝えました。
もう一軒は、民家として使われていたもので、通りに面して畳敷きの居間が二部屋続く造りになっていました。美しい居間でしたが、残念ながら、通りに面して板塀が作られ、通りと内部は完全に遮断されていました。そこで、われわれは、板塀を取り払い、居間から通りに直接出られる、濡れ縁を作りました。塀を解体したところ、居間から障子越しに眺める神門通りの松並木がとても美しく、比較的静かな通りの風景を居間から直接楽しむことができるようになり、部屋もだいぶ明るくなりました。そこに、さらに、通りに面して濡れ縁を作る作業をスタートしました。

作業を始めると、すぐに、地域の方々が、興味津々で「何をしているの?」と我々に話しかけてくれるようになりました。縁側は簡単な造りとし、わずか1日の木工作業で完成しました。すると、縁側から、地域の方々が、居間で作業する我々に声をかけてくださるようになりました。まちの人々が縁側に腰掛け、中で作業をしている我々に話しかけ、差し入れなどを縁側から持って来てくれるようになったのです。夏でしたので、採れたての野菜や果物、氷菓子などの様々な差し入れをいただきました。また、中には、道行く人が縁側に腰掛け、少し話し込んでいく姿も見られるようになりました。わずか1日程度の作業で、こんなに家の暮らしと、街の人々との距離が縮まるものかと、作業を行った我々自身が、大変驚きました。


縁側で、近所のお年寄りから聞いたところによると、昔はこの地域にも各家にこうした縁側があり、学校帰りの道すがらなどに友達の家や近所のお宅で縁側に腰掛け、オヤツをいただいたり、遊んだりするのが家路の楽しみであったということです。縁側は、かしこまって訪れる玄関とは違い、誰でも気軽に立ち寄れる、コミュニティに開かれたもう一つの入り口だったのです。この記憶がまだまちの人々の中にあるからか、あるいは、日本人の遺伝子に組み込まれたものなのかわかりませんが、縁側ができることで、明らかに、まちの人々の振る舞いが変化しました。

戦後の経済成長の中で、中心市街地は過密化し、家の敷地は小さくなり、密集した近隣とのトラブルを恐れるように塀が建てられ、新建材で覆われた家の表面も急激に閉鎖的になってしまいました。アルミサッシは木製建具に比べると機密性が高く、防音性も高い製品です。そのような性能を持った製品が良しとされ、玄関には鍵がかけられるようになりました。高気密高断熱の家を作り、夏には窓を閉め切りエアコンをかけるようになると街並みは恐ろしく閉鎖的になり、もはや往時の縁側のあったコミュニティは、完全に変質してしまいました。
このワークショップを通じて、我々の少しの努力とアイディアで、空き家が生き生きとした空間になり、縁側が人々の接点になり得るという、大変新鮮で驚きのある体験をさせていただくことができましたが、町家のオーナーさんにも良いことが起こりました。
それまで空き家だと気づいていなかったまちの住民が、ワークショップで綺麗になった空き家を訪れ、そこでお店を始めたいという方が現れました。ワークショップ終了後のわずか1週間で、空き家に借り手がついたそうです。その後、居間と縁側のある町家は、素敵な雑貨屋になりました。学生が浴衣で案内したインフォメーションセンターは、オーナーのご子息がギャラリーとして活用されるようになり、現在では素敵なブーランジェリー(パン屋)になっています。こうして現実に、空き家が2軒とも蘇りました。これら空き家の再生に、我々のワークショップがささやかな一助になったとすれば、これ程嬉しいことはありません。


さらに、インフォメーションセンターの様子を見た出雲市の方が、こうした動きに目を留め、その後、別の空き家を改修して、観光案内センターをオープンすることになりました。改修の設計は、City Switchプロジェクトの仲間である友人の建築家達が依頼され、素敵な建物が生まれました。

これが私の空き家再生プロジェクトのスタートです。その後も継続して空き家再生を行っておりますが、関東学院大学でも、KGU空き家プロジェクトの仲間たちと、授業や課外活動を通じて、空き家再生の活動を楽しんでいます。