教員紹介

人間共生学部教員コラム vol.215

2017.03.27 共生デザイン学科 杉田 正樹

ヒマラヤトレッキング

今年度の最後に、「教員コラム」の番が回ってきた。これを機会に、この1年を振り反ってみたい。

 

ゼミ合宿は、いささかの想定外があったものの、南伊豆でやることができた。卒論は、書いたのは二人だけであったが、どちらも発表できなかった。一人はオリンピックの強化選手に選ばれ、発表会が合宿にぶつかり、もう一人は、インフルエンザでダウンしてしまった。後日、学科委員会で発表するという特別の機会が与えられたが、強化選手はやったものの、インフルエンザは、先生方だけの前で話すことにおびえて取り下げてしまった。いいものを書いたのに残念だった。

 

というわけで、今回は個人的なことを書くことにしたい。

 

実はこの原稿をカトマンズで書いている。なぜカトマンズかと言えば、ヒマラヤでトレッキングしたからだ。パンチポカラまで行って、神々しい8000メートル級の山々を見たかったのである。ところが、3日目高度3000メートルのところで、思いもよらぬ雪に見舞われた。連泊して様子をみたがますます雪が積もるので、やむなく予定を変更した。テントの雪を払うのに、1、2時間おきにシェルパやポーターがバタバタとテントを叩いたり揺すったりしてくれた。

 

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【雪の中の食堂テント。手前はたき火】

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【雪の中のテント。手前の黄色いのが私が使ったテント。寒かった。】

 

今回はすべてテント生活であった。われわれ旅行者は5人。これをシェルパ4人、ポーター9名、キッチン4名、合計17名が支えてくれた。誠に贅沢な旅であった。

ついでに書いておくと、朝6時、お茶を一人一人のテントに持ってきてくれ、しばらくするとお湯をはった洗面器を持ってきてくれる。6時40分、朝食が始まり、7時半、出発。ゆっくり歩いて12時過ぎには目的地に着く。先についたキッチン係りが昼食を用意している。3時にはお茶タイム、6時ごろに夕食が始まり、7時過ぎには就寝というのが日課であった。食事は毎回工夫をこらし、美味しかった。食堂となるのは大きなテントで、夜はポーター諸君がここで寝るのである。

さて、方針転換して、約1400メートル下って一泊し、翌日1000メートル上るという強行軍で、さすがにくたびれてしまった。その翌日、シェルパが提案してくれた予定はきつ過ぎると却下し、もう少し穏やかなルートをとることにした。

 

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【遠くに望む6000メートル級の山々】

 

戻る朝は快晴だった。それから1週間ほどしたとき、われわれより数日前にわれわれの予定のコースを選んだネパール人の2人組が、行方不明だという話が伝わってきた。もしわれわれが柔軟に対応していなければ、同じ運命をたどったかも知れなかった。山を侮ってはいけない。自然は怖いものでもある。

われわれが今回歩いたのはヘランブ地方といって、地震の被害が最も大きかった地域の一つである。あちこちに崩れた家々があり、仮ごしらえのトタンの小屋が沢山あった。夏暑く、冬寒くて使い物にならない。現地を知らない設計者が机の上で作ったのでもあろう。深刻なさまざまな問題があることを聞いた。

しかし人々は穏やかな顔で、「ナマステー」と挨拶すると、笑顔で「ナマステー」と応じてくれる。畑仕事をしている人、木に登って家畜のエサの木の葉を取っている人、建築現場の人、ノコギリで大きな木から板を作っている人、鍛冶屋、絨毯を織っている女性、子どもを抱いている婦人、家事をしている人、暇そうにひなたぼっこをしている人、好奇心にみちたたくさんの子どもたち、みな、例外なく笑顔で「ナマステー」であった。

 

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【乾した穀物の前で、子どもをあやしているお母さん】

 

ところが、山を下って街に近づくにつれて人々の表情が硬くなっていくように思われた。この印象は、今回もって行ったルソーの『人間不平等起源論』のせいだけではないと思う。ルソーはこの本で、文明が人間を悪くした、と主張している。また、行く前にたまたま読んだ、ネパールの、文字をもたない部族ともつ部族との価値観や世界観を比較をした論文を読んだせいだけでもないと思う。この論文によれば、文字をもたない部族の人は、不安が少なく、幸福感が強い。神や聖霊とのコミュニケーションが出来、自然の兆候についての勘が鋭く、記憶力がよい、他人と比較して、得意になったり悔しがったりすることもない、などといった特徴が際立っているとのことであった。カレンダーをみることはなく、人を素朴に信頼し、時間の観念が違い、過去や未来を考えないとも書いてあった。ストレスのない日々を送っているのだ。かれらは自分たちのことを「森の人」と呼んでいるとあった。この人たちは、数年後にはいなくなるだろうともあった。

山で私たちが出会った人たちは、山頂まで作られた段々畑を耕して、まるで数千年前からの生き方をそのまま生きている風であった。ここには、「人は何のために生まれたのか」、といった問題はなく、「人は生きるために生きる」という確信があるばかりのようであった。そこで駄句を2つ。。

 

春風や山には山の暮らしあり

ボール蹴る子どもらを見る桃の花

 

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【畑を耕すお祖父さんと一緒の子ども。この男の子も、いずれこの作業をするようになるのだろう。】

 

ボールと言っても、ビニール袋に何やら詰めたボールもどきである。これを投げたり蹴ったりして遊んでいるのだ。幼いこどもたちも、耕した畑で朝から晩まで遊んでいるようだった。

 

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【写真を撮るよと頼むと応じてくれた。】

 

小学校があり、子どもたちは青い上着に女の子はスカートをはいていた。この子たちのうち、何人が上級学校に進むのか、かれらにどんな未来が待っているのか、などと色々な思いが駆け巡った。

ある村のひとけのない小学校を訪れたとき、古い机や長椅子が置いてあった。そこには沢山の落書きがあったが、「I ♡ my Nepal」と彫り込んでいるのを見つけた。英語を学んだうれしさに思わずこれを書いたのか、と思わず微笑んでしまった。強制された愛国心からではなく、「my Nepal」と書いた子に幸せあれと祈らずにはいられなかった。

後で聞いたのだが、英語教育は小学校から熱心に行われているという。出稼ぎに行くために必須だということだった。

 

カトマンズに帰ってきて、ガイドを頼んでヒンズー教の寺院パシュパティナートの火葬場と、ボダナートのチベット仏教の大きな仏舎利塔に案内してもらった。

パシュパティナートには、汚い河沿いにコンクリートの火葬台がいくつもあり、薪を組んで黄色い布でくるんだ遺体を載せ、ワラをかぶせて火葬するのである。ショックを受けるかと思ったが、案外そうでもなかった。年をとったせいであろう。

ガイド氏は、「人は生まれたときと同じく、なにも身につけないでもとへ戻るのです。これが真実です」、と言う。「もととは何ですか」、と問うと、「自然です」と答えた。「私も同感です」、と言い、「アジアの共通の了解でしょうね」、とつけ加えた。

 

朝6時頃、旧王朝のあったパタンという地区を散歩した。ここも、建物が崩れたり、つっかえ棒で支えたりと、地震で大きな被害を受けていた。

大勢の人があちこちにある神像に赤い粉を塗りつけたり、額をすりつけたり、触ったり、米のようなものを撒いたり、花を供えたりと色々な仕方で祈っていた。ここには宗教を生きている人たちが沢山いる。また、仏教とヒンズー教が共存し、さまざまな民族が共存している。

 

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【祈りを捧げる婦人】

 

人の祈る姿は美しい。パリのテロ事件の後、「私はシャルリ」と書いたプラカードをもって集会やデモが行われたが、これに違和感をおぼえたことを思い出した。他宗教や、その教祖を愚弄する差別運動が、事柄をより深刻化させるのは当然だからだ。

 

などと書いていけばきりがない。時間がたっぷりあり、パソコンのない生活のなかで、感じること、考えることが山ほどあった。これらについては、教室で話すことになるかも知れない。自分の人生のいい時期に、いい旅が出来たと、こころから喜んでいる。

 

 

杉田 正樹(共生デザイン学科)

 (2017年3月)

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